こんにちは、yuです。
今回は以前行ったオーストリアのザルツブルクについて記事にします。
この記事の目次
ザルツブルク
・ザルツァハ川からのザルツブルク城の眺め
ザルツブルクはドイツ語で塩の城という意味になります。オーストリアで4番目の規模を誇る、ザルツブルク州の州都になります。
その中心部は歴史的なバロック様式の建築が有名で、1996年に「ザルツブルク市街の歴史地区」としてユネスコの世界文化遺産にも登録されています。この歴史地区は、その美しさから「北のローマ」や「北のフィレンツェ」と呼ばれた時代もあったそうです。
中心部の歴史地区や周辺のアルプスを訪れる観光客も多く、人気のある街です。またモーツァルトの生誕地として知られており、「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地としても有名です。
アクセス
わたしはスロベニアのリュブリャナからザルツブルクにインしました。アウトはドイツのミュンヘンに向かいました。両方とも交通手段は列車です。ザルツブルク周辺では列車から絶景が見えますので、列車での移動が個人的におすすめです。ほかにはウィーンからも列車でで訪れることができます。
・リュブリャナで乗ったザルツブルクへ行く列車
車両は比較的新しく、乗り心地の良い車両でした。ミュンヘンまでつながっており、長距離を走行している列車になります。
・リュブリャナからザルツブルクへ向かう途中の風景
途中の風景は山々や牧場の緑と澄み渡った空の青、雲や山頂の白が美しいコントラストとなっており、ずっと見ていても見飽きることがありません。列車の中からの風景では、かなりおすすめの路線になります。
宿泊
・ザルツブルク滞在時に宿泊したホステルYoho
ザルツブルク中央駅から徒歩10分に立地。ミラベル宮殿へも500mほどと文句なしの位置にありました。
スタッフは皆親切でした。またビールを飲んでいると奇跡的に大学の同期と出会いました。多くの日本人が利用しているみたいです。
ミラベル宮殿・庭園
ザルツブルクを語る上で外せないのがこのミラベル宮殿・庭園ではないでしょうか。
ミラベル宮殿はバロック建築を代表する美しい建築物で、1606年に大司教ヴォルフ・ディートリッヒが愛人のために建てたものです。そのため、当時は「アルテナウ城」と呼ばれていたそうです。またミラベル庭園は1690年にフィッシャー・フォン・エルラッハによって設計されました。
・庭園の写真
赤が映える花が植えられており、非常にきれいでした。天気も良く、観光には最高の日でした。多くの観光客が庭園内を散歩していました。わたしが行ったのは9月でしたが、もう少し遅くの秋に行くと紅葉しているそうです。
・ミラベル庭園越しに見えるホーエンザルツブルク城
少し高い位置から眺めるとちょうど奥にホーエンザルツブルク城が見えました。下から眺めるのとは見え方が少し異なるので、これまた一興です。
・ミラベル宮殿の内部「大理石の間」
目もくらむような豪華な造りでした。こちらの「大理石の間」では、幼少期のモーツァルトが演奏会を開いた場所だそうです。また、この空間は世界で一番美しい婚姻の間と称され、結婚式場として人気だそうです。調べてみると結婚式のツアーなどもありました。写真はありませんが、マーブルホールでは今もコンサートが開催されているようです。
・シンメトリーにデザインされた庭園
奥に見えるのが「ペガサスの噴水」です。「サウンド・オブ・ミュージック」では、この噴水のまわりでドレミの歌が歌われました。噴水の周りにはギリシア神話の神々の彫刻も置かれていました。またどの車種かは忘れてしまいましたが、車のCMでもこのあたりの風景が使われていました。行ったときは知りませんでしたが、それほど有名みたいです。
・ミラベル庭園越しに見るミラベル宮殿
色とりどりの花と彫刻や建物の白色が美しさのハーモニーを奏でてています。多くの旅行者で賑わっています。いつかまたいってみたいです。
・近場のレストランで食べたシュニッツェル
ドイツやオーストリアなどでおなじみのシュニッツェル。ウィーンの有名なものほど薄くなく、ザルツブルクがドイツの近くに立地していることが理由なのかと思いました。味は安定のおいしさでした。
ホーエンザルツブルク城
1077年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世の間に起きた聖職叙任権闘争後に、教皇派の大司教ゲプハルト・フォン・ヘルフェンシュタイン1世が、皇帝派の南ドイツ諸侯のカノッサの屈辱への報復を恐れて市の南端、メンヒスブルク山山頂に建設した防衛施設。マイセン辺境伯コンラート1世(1098年頃 – 1157年)の代にほぼ完成した。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世”バルバロッサ”(在位1152年- 1190年)によるザルツブルク焼討ちでも焼失を免れた。15世紀後半になるとハプスブルク家、バイエルン公等の周辺諸侯の攻撃や市民の反乱に備えて強化され、鐘楼、薬草塔、鍛冶の塔、囚人の塔、武器庫、穀物貯蔵庫等が建設され、防壁が強化された。ナポレオン戦争によるナポレオンのフランス軍の占領後の1816年からは、ザルツブルク市街とともにハプスブルク家の支配下に入った。
ザルツブルクのシンボルであるホーエンザルツブルク城は上記のように1077年がはじまりで、とても長い歴史を有しています。起源が防衛施設ということもあり、城は断崖絶壁の上で城壁に囲まれています。
またザルツブルク城は人気旅行サイト、トリップアドバイザーの「世界の名城25選」にも選ばれています。世界的にも有名なようです。
・ザルツブルクの街並みを一望
まるで中世にタイムスリップしたような感覚でした。3週間にもおよぶ旅行の最終目的地ミュンヘンの1つ前の街でもあったので、旅行の終わりを感じながら眺めていました。この景色ならいつまでも眺めていたい、そんな気持ちにさせてくれる景色です。
・遠くにそびえる山々も一望
街の方だけではなく、反対側にも絶景が広がっています。列車から見た美しい景色をより遠くまで見渡すことができます。
・断崖絶壁、堅牢な城壁
この写真からもお城が断崖絶壁の上に立地していることがわかります。the要塞といったお城です。
・ホーエンザルツブルク城の麓にあるザンクト・ペーター教会
ザンクト・ペーター教会はかつてモーツァルトが演奏した歴史ある教会です。ホーエンザルツブルク城の麓に立地しており、アクセスも良いことから訪れてみました。
・岩壁をくり抜いて作られているザンクト・ペーター墓地
ミラベル庭園と同じく、ここもサウンドオブミュージックの舞台として使われています。ちなみにこのあたりの墓地にはモーツァルトの家族も埋葬されています。お墓ということもあって、あまり写真も撮らずに静かに散歩しました。
ゲトライデ通り
・ゲトライデ通りの風景
ホーエンザルツブルク城の麓には、ザルツブルク旧市街のメインストリートのゲイトライデ通りがあります。道の両側には商店が立ち並び、軒にはその店のシンボルをかたどった鉄細工の美しい看板が出ているのがこの通りの商店の特徴です。観光客も多く、いろんな店があるので散歩しているだけでも楽しめます。ちなみにこの通り沿いにはモーツァルトの生家もあります。
ザルツブルクといえばモーツァルト
・ゲイトライデ通りにあるモーツァルトの生家
ザルツブルクはモーツァルトが生まれた街としてあまりにも有名です。そのため生家も例に漏れず、観光地になっていました。
このモーツァルトの生家は一部を除いて現在記念博物館となっており、モーツァルトが使用していた楽器などが展示されています。
わたしも入ってみようと思いましたが、なんと営業時間が過ぎていたため入場することができませんでした。入場料は10ユーロと少しお高めなのでそれはそれでよかった気もしますが。。。
・モーツァルトの生家全体像。1階では特別展示が行われています。
外見がホテルのようにきれいです。ゲイトライデ通りにはモーツァルトが表紙を飾っているチョコレートなど、ありとあらゆるお土産にモーツァルトがプリントされていました。
・新市街にあるモーツァルト一家が過ごした住居
モーツァルトはこちらで17~25歳を過ごしたそうです。生家の方と違って、通行人からもあまり注目されていませんでした。
ルペルティキルターク(聖ルペルト祭)
・ビールテント内部
ザルツブルクを訪れたときにたまたまこの祭りが開催されていました。秋の伝統行事だそうです。この祭りは、ザルツブルクの守護聖人ルペルトを祭る伝統的なお祭りです。8世紀からおこなわれており、多くの観光客も訪れているそうです。地元の方々には民族衣装を着ている人もいました。
ビールを飲む場所にはテントが張られ、中では音楽の演奏もあったことから少しオクトーバーフェストのような雰囲気でした。
最後に
いかがでしたでしょうか。ザルツブルクは見どころが豊富で景色がすばらしいにも関わらず、意外と街はこじんまりとしています。
そのため、わたしは公共交通機関や自転車も使わず、すべて徒歩で散策することができました。
ミュンヘンはもちろんウィーンからも日帰りで訪れることができますので、近隣を訪れた際にはぜひ一足伸ばして訪れてみてください。
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