こんにちは、yuです。
今回は京都大学に所属していた時の就職活動についてつらつら書いていこうと思います。
私は理系でしたので就職活動期には研究室なるものに所属していました。研究室の先輩方を見ていると理系の就活は特に就職先に困るという訳でもなく、むしろ引く手あまたでどこにしようかな、という感じでした。したがって自分も就活時期になるまでは特別なことをした訳でもなく、むしろ意識すらしていませんでした。
就活が開始する前の夏季休暇には多くの企業がインターンを開催していました。私もいくつか応募したのですがどこも倍率が高く、選考から漏れてしましました。結局その夏は体調を崩していたこともあり、のんびり過ごしていました。
まるで新歓のような就職活動初期
12月から就職活動が解禁になると専攻のOBが大学に大勢やってきました。目的は企業側からの学生の勧誘。
会社の説明会を兼ねたお食事会や飲み会でした。私は志望度の高い業界がなかったのでご飯を食べることを兼ねてほぼ毎日のように様々な会社の説明会に顔を出しました。
いくつか顔を出して気付いたのは業界によってもそうですが会社毎にある風土の違い。
会社が同じであればOBは似たような雰囲気を醸し出していました。OBは会社から選ばれてその会社の顔として大学に来ているはず、この人たちと合わないなと感じればその会社には馴染めないだろうなと思いました。
いくつか興味のある企業をピックアップし、次のステップである工場見学や施設見学に進みます。
工場見学はメーカーの醍醐味でもあり、普通の生活をしていては見ることのできない製造の現場を体験できる貴重な機会でした。
ダイナミックな製鉄所、整然とされた工程の自動車工場、大規模な造船所、テレビでしか見たことがなかった発電所や飲料工場などなど。
施設見学でもそうですが実際の働く場所の雰囲気を感じることでよりその会社に知ることができ、また職場の立地も知ることができるので私は興味のあった会社は必ず行くことにしていました。
ちなみに工場や施設は全国各地にありましたが基本的に交通費が支給されるのであまりお金のない就活生にとってはありがたいものでした。
見学の後はもちろん懇親会がありましたがこの懇親会では企業側も自社に興味がある学生を探しているようでした。
志望業界などの話題で他社も考えていることを話しすると「その会社なら知り合いがいるから紹介してあげようか?」などと提案し、その話に乗れば次からの見学にはお誘いが来なくなるという感じです。
エントリーシートとの闘い
会社説明会や工場見学の時期が過ぎると次に待ち構えていたのがエントリーシートの作成です。私は結局10社ほどしかエントリーしませんでしたがそれでも骨が折れる作業でした。友人には50社ほどエントリーしている人も少なくなく、本当に忙しそうにしていました。
エントリーシートの志望動機は学生時代に頑張ったことを自己分析してどうしてその企業に行きたいかをリンクさせて書けばよいのですが私は学生時代にはサークル、バイト、旅行、麻雀など遊び呆けていたため、いくらひねってもなかなか出て来ず、ツケがいよいよまわってきたなと感じていました。汗
研究内容を分かりやすく書くことに苦心し、サークル時代に頑張ったことでありきたりな内容の長所を書き、取って付けたような志望動機の数々。。。エントリーシートだけで落とされる(いわゆるES落ち)のも無理ないなという出来のものばかりでしたがなんとか作成しました。
webテストは大学入試である程度勉強していた人たちであれば特に問題なくスムーズに解けるような内容でしたので研究室の同期で集まって解くというようなことはありませんでした。
研究室の同期と苦心しながらエントリーシートを作成して過ごす、そうしているうちにあっという間に2、3月が過ぎていったのでした。
面接解禁
4月1日からようやく企業の面接が始まりました。
鉄道などのインフラでは先にリクルーター面接などがあったので面接自体は少し慣れていましたが本格的に企業に出向いての面接はこの日からなので緊張しました。覚えて行った内容を緊張のため少々早口でしゃべってしまいましたが無事一次面接を通過することができ、そのあとの選考も順調に進んで行きました。
私は4月の1週目の内に某インフラの最終面接に進みました。役員室で役員との面接。企業の役員ともなると数々の修羅場を乗り越えてきた人達だけあって重苦しいオーラを放っていて、どんな状況になってもドンと構えてそうな人達でした。
面接の内容は最終面接まで話してきたこととほぼ同じ内容の話しばかりでした。落ち着いて声を張り、目線を合わせて話すように意識できたのでこれは早々に内定がもらえたな、という出来でしたが結局内々定の連絡は来ませんでした。
施設見学などで知り合ったリクルーターからは面接毎に励ましなどの連絡が頻繁に来ていたので正直面接前から受かるだろうという気持ちだったのでここで自分の甘さを痛感しました。
その後数社の面接を受けてGW頃には自由応募と推薦応募の2社が最終面接まで進むことができ、先に自由応募の会社の方の最終面接がありました。
こちらの方は食品メーカーでしたので面接の前日には食事会があり、社員との交流もしっかりありました。
翌日面接がありましたがこの面接は大失敗でした。面接はグループ面接でしたがある質問されたことに瞬時に答えられず少し考えますと言ったところ、その質問に関しては私には再び順番が回って来ることがありませんでした。
考えの浅い回答なら用意できたのですがより深い考えの回答をした方が良いと思いそう答えてしまったのです。
あとから考えれば不意な内容の質問に対する対応姿勢で突発事態に対する対応力を見ようとしたのかなと思いますが面接時にはその意図を読み取れず誤った判断をしてしまいました。
それ以外は問題なく対応できましたが結局その会社からも内々定はもらえず、ついに残るは1社になってしましました。
緊張の最後の最終面接
推薦での応募なので受かる可能性が高いとはいえこの会社の選考から漏れてしまうといわゆる内々定ではなく無い内定になってしまうので焦りを感じていました。
事実、さきほどの食品メーカーの選考時に知り合った人の中にはこの会社に推薦でも落選している人がいたのです。
リクルーターの方からの厚い支援を受け、十分に面接対策をして臨みました。当日は夕方からの面接でしたが前泊していたためかなり時間を持て余していました。そのため会社の近くでエントリーシートに記載している内容を音読するなどして時間を潰しました。
面接は圧迫面接ではなく普通の面接でした。
面接の内容は主に研究に対する姿勢を問われるようなもので目標設定や困難だったことは何か、その対策に何をしたかや研究で学んだことで入社後に活かせることはあるかなどでした。
ほかには大学の成績などについても話が及びました。こちらがしっかり考えて発言できるように終始配慮してもらえてる雰囲気を感じることができたので本当にありがたかったです。
そして無事に面接を終え、帰宅して研究室の飲み会に参加しました。
そして内々定
数日後、メールにて内々定のお知らせがありました。
無事に社会のレールに乗ることができたので、このときは本当に安心しました。
実は就活期にも再受験のことを考えたりしていました。全部ダメだった時には再受験しようなどと考えていたのです。
しかし結局内々定をもらえることができたので当時は再受験のことなど頭から消えていってしまったのです。まさか数年後に再受験をしているとは知らずに。。。